DX推進はダム戦争と同じ

 日本学術会議で推薦した6人が任命されなかったとのことで物議を醸している。

 ブログで政治を語るとロクなことにならないので、この件自体への考えは述べない。というか、学術会議うんたらとか僕が関与できる領域ではないので、誰が任命されようがされまいが知ったことではなく関心がないのが正直なところ。

 ただ、このニュースで印象的なのは「前例主義」だ。政権の思惑とかは置いておいて、推薦したら任命するという前例があり、その前例を崩すだけでもニュースになる。

 一方で、DX(デジタル・トランスフォーメーション)を進めるという話もある。世界に比べ日本のデジタル化は遅れているので、さっさとデジタル化を成し遂げて、諸外国に追いつこうという。DXだとかデジタル化の推進自体には右派左派関係なく「そうだよねー、やらなきゃねー」という感じだろうか。

 ただなぁ、経験上、この前例主義とDXは非常に相性が悪い。というか水と油、右翼と左翼、嫁と姑。DX というと「単に便利になるもの」と解釈している人も多いが、そんなに生易しいものではない。DX = デジタル技術を活用して、顧客ベースで価値を最大化する仕組みをゼロから作ろうぜ、というものなので、DXを推進するときには「血」を見ることになる。

 ハンコ屋が潰れる程度の話であればいい。

 だが実際には、DXを推進することは、ダム戦争だの成田闘争だのといったものと同義だ。最大多数の最大幸福のためダムを作るからお前ら出てけ、空港を作るからお前ら出てけという論理。その論理を国家だったり企業だったりが全方位的に展開するのがのDXの本質となる。

 DXがいう「顧客ベースで価値を最大化」するとどうなるだろうか。通信技術の発展で人類は場所に縛られることがなくなった。さらにコロナにより対面での交流が避けられるようになった。

 そのとき、たとえば○○銀行新宿支店のような場所に属する支店は不要になり、支店長ポストはなくなる。たとえば学区に縛られた小中学校も不要になり、大多数の教員も不要になる。さらにいえば、一次産業はロボットがやり、小売・飲食はUber Eats化し、交通・物流・インフラは自動運転化し、絵画や音楽などのエンタメは人工知能が創作する。支店長も教員も農家もシェフもパイロットもアーティストも顧客価値最大化に対する一障害でしかない。

 日本学術会議がなんたらとか、ハンコがなんたらなんて言っている状況ではない。前例はなくなる。国家でも企業でもダム戦争が起こり大量の「血」が流れていく。「血」は嫌だからDXなんてやらなければいいとは言っても、すでに世界はグローバル競争になっているから、ダムを作らなければ国家も企業もそして個人も衰退し、座して死を待つだけだ。

 これを恐ろしい世界だと思うか、楽しい世界だと思うかは人次第だろう。自覚・無自覚を含めて既得権益がガラガラポンされる戦争のようなものだ。そんな想いをもちつつも、今日もDXを推進する日々を過ごしていく。

おわり。